2
フラッシュバックが襲う。今視界にある現実は、脳内で創り上げられた映像と完全に切り替わる。
感情を全く感じさせない漆黒の眼差しと、節くれだった冷たく細く長い指。
拘束された無防備な生身の体への苛烈な攻撃。
ただそれを受け入れるしかなかった日々へ、月はいきなり放り出された。
つい先ほどまで屈することを拒み続けていた眼差しは、その力を完全に失っていた。
溢れ続ける涙がこめかみを伝って髪に吸い込まれ、ソファの背もたれに黒いシミを作っている。
ときおり、自由にならない頭をわずかに左右に振る。
痛みを振り払うかのように。幻から逃れるかのように。
月はもう何も見てはいなかった。いや、たった一つのものしか見ていなかった。
恐ろしい苦痛と、体を蕩かす快感を、同時に与え続けたあの男の幻影を。
今実際にメ口が科す責め苦と、現実以上のリアリティをもって再現される行為が二重に月を痛めつける。
既に意識はほとんどない。
月の鈴口を始動の太い爪が深々と貫き、後孔には消毒薬のボトルが捻じ込まれ、テープで固定されていた。
体外に飛び出したボトルの底をメ口が軽く押し込むだけで、月の半開きの口から途切れ途切れの掠れた喘ぎが漏れる。
テープを何重にも巻かれ、達することを禁じられた月のそれが反応し、始動の爪によって傷つけられた内部から、薄赤く染まった透明な液体が外へ滲み出てくる。
メ口は険しい顔で月の痴態を鑑賞していた。
昨日、あれほどの苦痛を与えたにもかかわらず、月は押し殺した呻きの他にはついに一度も声を上げなかった。
何度も抉られる傷の痛みに失神するまで、その凄まじく綺麗な鳶色の瞳で力強く見返し、反抗し続けた。
責める者、責められる者という相対する立場でありながら、何か、魂をやり取りしているような精神の昂揚すら覚えた。
今、月の虚ろな眼にメ口は映ってはいない。
あるのは得るの姿だけなのだろう。
経過した歳月をものともせず、得るはいまもなお完璧に月を支配していた。
1人置き去りにされたような焦燥感が、メ口の中に染みのように広がってくる。
「始動、どけっ」
メ口は突き飛ばすようにして始動を脇へ押しやった。
ずるりと引き出された爪の先に、月の悦びの証しが糸を引いている。
メ口が月の性器を握り乱暴に擦りあげると、傷ついた内部が辛いのか流石に声を上げた。
しかし、それはメ口の手の中で確実に硬度と熱を増していく。
先端から血の混じった先走りをトロトロと零しながら、月はメ口の手の動きに合わせて
囁くように甘い声をあげ、小刻みに腰を捻る。
この光景に刺激されたのか、いつのまにかメ口の体にも変化があらわれていた。
「抱いてやろうか?」
片手でベルトをはずし、皮のズボンのウエストを緩めていく。
扱く手を止めても変わらず腰を捻り続ける月の様子で、メ口は気付いた。
月は、埋め込まれた消毒薬のボトルをいいところに宛がおうとしているのだ。
「勝手なことを!」
再び怒りがこみ上げ、テープを引き剥がして一気にボトルを抜き去る。
「んっ…く…」
いきなり途切れた甘い刺激の行方を探ろうとして、月は唇を噛みしめる。
「ふざけるな」
月を握った手に滴る液体を自分のそれに塗りつけると、メ口は月に覆いかぶさり一気に貫いた。
柔らかく解れた温かい内壁が、張り切った性器を迎え入れる。
拘束されたしなやかな白い肢体が、メ口のそれをより深い挿入へ導びこうと
探るように向きを変え、締め付けてくる。
メ口は一瞬、背筋がぞくりとした。
キラを捕らえ、痛めつけ、嬲っているのは自分のはずなのに主導権を握られ、思うがままに翻弄されているのは━━
「調子に乗るな!お前の思い通りにはさせない」
脳裏に浮かんだ疑念を振り払うかのように、下腹部がぶつかりあう衝撃で骨が軋むほど、メ口は激しく腰を打ちつけた。
目線一つ動かさず、ただ人形のように揺さぶられている月のそこだけが、意思を持った生き物のようにうねり、侵入者を悦ばせようと収縮を繰り返す。
「キラ」
月の腰を抱えあげより深く突き上げると、挿入の角度が変わり、月はわずかに喘ぎ始めた。
「お前は、俺のものだ」
高らかな勝利宣言でありながら、メ口の声は震えている。
「お前のその目も、髪も、口も、腕も足も、お前の中の得るごと全て俺のものだ」
メ口の動きが加速する。月の喘ぎもそれにあわせて高まっていく。
「あの馬鹿死神が何ていったか教えてやろうか。
”メ口とキラが友達になればいいな”だとよ!」
突然、発狂したかのように笑いだしたメ口の声が室に反響する。
壊れた玩具のように笑いながら、メ口は泣いていた。
大きな瞳から零れる涙は、大きく揺れるたびに月にポタポタと落ち、
胸の傷に巻かれた包帯に小さな染みを作っていく。
いつだって本当に欲しいものは何一つ手に入らない。
「声だって俺のものだ。鳴け」
喘ぎが悲鳴に変わるほどの激しい突き上げの後、月の性器に巻かれたテープを一気に剥ぎ取る。
メ口は月に寄りかかるようにして達し、ほぼ同時に、縛めから解放された月も精を放った。
絶え入るように月に体を預け、メ口はしばらくそのままそうしていた。
2人の荒い呼吸音だけが、今は静かな室を震わせている。
これ以上ないほど近く触れ合いながら、2つの魂は交差することさえなく別の次元を彷徨っていた。
メ口は始動に月を椅子からおろすよう言いつけ、一度も振り返らず室を出て行った。
再び配管に鎖でつながれ、室の隅に転がされている月は今もなお、ある筈の無い世界に迷い込んだまま、解放されることなくもがき続けている。
メ口の眼を凝視した瞬間から、心の奥底で機をうかがっていた闇に月は飲み込まれた。
視界がぼやけ、メ口の姿が霞めば霞むほど、入れ替わるようにあの男の輪郭が鮮明になっていく。
冷たい房の中、いつものようにあの男の忠実な執事が月を拘束していく。
拘束具は体の要所要所を1ミリの余裕もなく締め上げる。
月は抵抗しない。抵抗すればそれはすべて罰として自分の体に帰ってくるということを
嫌というほど思い知らされてきた。
あの男が硬い革でできた猿轡を月に咬ませると、それが拷問開始の合図だった。
流される電流の数値、注ぎ込まれる薬品の濃度、肌や粘膜を灼く器具の温度、人間の体が耐えうるギリギリのボーダーラインを、豊富な知識と経験を持つ執事が的確に見極める。
彼により緻密に計画されたその日の責め苦が、2人の手によって月の体に容赦なく降りそそぐ。
際限なく続く苦痛に爪が食い込むほど握り締めた拳へ、一定時間ごと、あの男は貴婦人をエスコートするかのようにそっと掌を添える。
自白する気になったら指で”KIRA”と書いてください
穏やかな声で促されても、キラとしての記憶を失っている月にこの地獄から抜け出す術はない。
猿轡に塞がれた絶叫と、とめどなく溢れ続ける涙と、身動きひとつできない拘束の下で、月はずっと待ち続ける。
あの男が時折、拷問に耐える月へ褒美でも授けるかのように戯れに快感を与えるのを。
無論初めのうちは、理不尽な苦痛を強要する殺してやりたいほど憎い加害者が体を性的に弄ぶことに、月は拷問に対して以上に激しく抵抗した。
あの男はその丁寧な愛撫に巧妙な餌を仕込んで、月の強い意志を陥落させた。
快感と苦痛は常に同時に与える。月が快感に従順になれば、わずかな時間ではあるが責めを緩和するのだ。
その刹那の時間を請うて、月の哀しい防御本能がどんな些細な快感をも拾い上げる体に作り変えた。
快感が激痛を凌駕する瞬間を確認したあの男が、執事に責めを止めるよう短い指示を出す。
一時的に苦痛から解放され、つかの間の安堵のため息の後、指先の動きひとつで思うがままに喘がされる恥辱と、またすぐに再開される拷問への恐怖で、月の表情に絶望の色がより一層深まる。
月君 綺麗です 貴方のその表情 とても綺麗です
覗き込んだその闇夜のような双眸と、抑揚のない声音からは、何の感情も読み取れはしないがその最奥にあるのは、紛れもない狂気。
痛みを与えた瞬間の力の入り具合、気絶から次の気絶への間隔等から、体力の限界を見定めると、あの男は執事を退出させ、月を抱いた。
専用の小さな道具で月の根元を締め上げ、月の意志では達することができない処置を施してからその日新しくできた全ての傷に舌を這わせ、続いて頬を伝う涙を舐め取る。
轡をはずし、噛み千切るような長い長いキスで月の口中を犯す。
2人の間にほんの少しの隙間もゆるさないかのように、あばらの浮いた肢体を月の全身に密着させる。
両の掌をそれぞれ指が折れるほどに強く絡ませ、握りしめる。
月の朦朧とした意識にダイレクトに快感だけが突き刺さる。
わずかな刺激にも敏感に反応するまでに馴らした月の体をじわじわと真綿で締め上げるように、気の遠くなるような長い時間を掛けてねっとりと嬲り続ける。
初めての拷問の日に負った裂傷が癒える間もない、今日の血を流している後孔にあの男は侵入し、体を密着させたまま緩やかで丁寧な律動を繰り返す。
その日の仕上げをするように、月の体内深くへ精を流し込む。
根元の縛めを解かれた月が、痙攣しながら放出した白濁液へも舌を這わせた。
「キラ」
続けて、微かな衣擦れの音がすぐ近くから聞こえた。
「起こしてごめん、でも凄く辛そうだったから…」
月は焦点の合わない、もやのかかった視界の中でしばらくぼんやりとしていた。
すぐ脇で心配そうに始動がうずくまっている。
点けられたままの照明が月の覚醒を促し、次第に思考が明瞭になっていく。
初めに気付いたのは下腹部のじんわりとした火照りだった。
顔を上げようとして体に力を入れると、温かいものが月の体内から溢れ、内股を伝う。
その2つの感覚は月にメ口との行為を告げていた。おそらく、自ら受け入れたのだろう。
感情の制御を脳が放棄し、記憶が飛ぶほどの状態でも、体に刻みつけられた躾は機能したらしい。
月はすがるように、掠れた声で問いかけた。
「僕はノートのこと何か言った?」
始動は、キラは何も喋らなかったとだけと答えた。
あの男との数々の体験が有利に働くだろうと楽観していた自分の甘さに呆然とする。
あれに耐え切ったのだから、ちょっとやそっとのことでは動じないと。
そんな想定はあっけなく崩れ落ちた。
あの男が月に施した行為は、4年以上が経過した今でも、少しも希釈されることなく精神と肉体を支配し続けている。
幻に惑わされてはいけない。月は自分に言い聞かせた。
もう、今日のような精神の暴走は二度とあってはならない。
思わず口走ってしまう、どんな些細なヒントでもメ口は聞き逃さないだろう。
強い意志で捩じ伏せるほかは無い。どんなことがあっても正気を保たなければ。
それはメ口が与える苦痛に屈しない以上に難しいことのように思え、月は深いため息をついてぐったりと眼を閉じた。
昨日言われたことを思い出したのか、始動が室が出て行こうとしている。
月の休息をさまたげないよう、音も立てずに去りゆく気配が弱りきった体と心にじんと沁みた。
「始動」
遠ざかろうとしていた気配が留まる。
「しばらくそばに…少しでいいから」
後ろ手に縛られていて仰向けになれず、胸の傷でうつ伏せにもなれず、わき腹を下にした側臥の体勢を取るしかない月は、
再び傍らにうずくまった始動の足元に、不自然に首を曲げて頬を寄せようとする。
「キラ、ちょっと待って」
始動は壁を背にして座りなおし、続けて、これ以上の苦しみを与えないよう優しくすくい上げながらそっと月の上半身を自分の体にもたれさせようとする。
始動の腕の構造では思うようにいかず、指をたたんでみたり回り込ませたりと何度もやりなおす。
胸元にうずめた頭をずり落ちないように支えると、ようやく月の体は安定した。
「どう?」
「凄く、楽になった… ありがと…」
社交辞令ではなく、固い床の上よりずっと楽なのだろう、冷たい死神の体に抱かれたまま眠ってしまったようだ。
汗で額や頬に貼り付いている乱れた前髪を、その細い爪先で後になでつけてやる。
静かに寝息をたてる月の体温を感じながら、始動はポツリと呟いた。
「キラ、メ口を許してあげて。メ口はひとりぼっちなんだよ」
end
→TopMenu